雨の雑

セルジュ・ラトゥーシュ『経済成長なき社会発展は可能か?』

 「エコ」というのは最近、流行りの言葉だ。しかし、多くの人はその言葉に一抹の胡散臭さも感じているのではなかろうか。地球が危ない、動物たちを救え、はまだしも、エコポイントやエコカー減税になると怪しげになってくる。背後に金銭のにおいがたっぷりするではないか。
 確かに、多くのデータが立証するように、地球の環境問題は日々深刻になっているのだろう。本書でもその点について疑問を挟むことはない。それどころか、積極的に環境問題への警鐘を鳴らしている。しかし、現状のやりかたというのは、いかがなものだろうか。少なくとも僕はこれに違和感を覚えざるを得ない。本書はそんな違和感の源をずばり指摘する、先鋭的経済学書だ。
 即ち、この違和感とは、現代社会にはびこる成長主義に起因するものだ、とラトゥーシュ氏は指摘する。成長主義とは、少しでも多くの財を生産し、少しでも多くの利潤を得ることだ。この基本理念は資本主義にしても共産主義にしても変わることはない。そこでは「エコ」というのは単なる商品の付加価値や、より多く商品を生産する機会に過ぎず、節約された資源は、それ以上の増産によって使われてしまう。だから、いくら「エコ」を唱えようとも、成長主義から脱却しない限り、根本的な環境問題の解決にはならないのだ。
 また、近年、進んでいるグローバリズムについてもラトゥーシュ氏は痛罵を浴びせかけている。即ち、前述のような成長主義を推し進めていった結果、先進国は莫大な富を得た。しかし、その富を保つために多くの途上国から搾取を行っている、とラトゥーシュ氏は語る。市場経済とは自由になればなるほど格差が激しくなるものだ。
 以上、(手許に本がないので、明確に引用できなくて申し訳ないが)これがラトゥーシュ氏による痛烈な批判の内容だ。
 さらに彼は成長主義に代わる新たなパラダイムを本書で提案している。それが即ち、脱成長だ。これは単なるゼロ成長やマイナス成長を表すのではなく、成長主義からの脱却を表すものだ。それは地域通貨を用いた地域単位の経済であり、成長を目指さない経済なのだ。いささか具体性に欠けるが、素晴らしい響きではなかろうか。
 しかし、この主張にも問題点はあるだろう、と僕は思う。まず挙げられるのは、この思想は多人数が共有して初めて役に立つものであり、それは思想の強要、つまりファシズムにもつながりかねない。幸い、ラトゥーシュ氏は理知的な人物と見え、主張の押し付けを行うことはなさそうだが、ある程度、この主張が広まった時にはどうなるかわからない。ただし、逆にファシズムにつながらない思想など存在するのか、というとそれも難しい。ヒトラーは世界一民主的といわれた憲法から誕生したのだ。
 そういう意味ではこの思想は既存のどの思想よりも来たるべき未来を見据えた思想だと言えそうだ。ぜひ、この思想にふれて、目から鱗を落としてみて欲しい。

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